❖ 本日6月28日(水)午後1時
修善寺麦わら細工 晨 三代目作
麦わら龍(旧麦藁蛇)
富士山本宮浅間大社へ奉納させて頂きました。
「水害や疫病から
多くの人をお護り頂けますように。
また多くの人にシアワセが連なりますように。」
と思いを込めて、大森編みで復元した麦藁蛇(麦わら龍)を奉納させて頂きました。
※大森編みはひとつの編目(菱形)を作るのに4回折り合わせ、それを連ねて作品が仕上がることから、修善寺麦わら細工では、シアワセ(4合わせ)が連なると願いを込めて作成しております。
(祭壇中央に置かれた麦わら龍)
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事の始まりは今月6月9日(金)のTwitter
来年の干支である辰をどうデフォルメできるか
という内容で、初代(父)と三代目(私)が作成した
麦わら龍のお写真と共にツイートしたところ
フォロワーさんから昭和初期に作られた
「麦藁蛇(神龍)」というもののお写真を送ってくださいました。
編みは大森編みをメインに構成され
見る限りは、耳と角のようなものも見受けられ
蛇(じゃ)というよりも龍(りゅう)ぽいなという印象をもち、そこから、ネットや本で「麦藁蛇」について調べまくり、同時に、お写真から見て取れる範囲で復元に取り組みました。
(復元 1作目 三代目作)
復元しつつの麦藁蛇(むぎわらじゃ)調べ
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麦藁蛇(むぎわらじゃ)神龍 とは
凄く簡単に言うと、"だるまや熊手の文化"とアマビエ"を組み合わせたみたいな感じ
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そして、富士山信仰とご縁のあるもの
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浅間大社ごとに麦藁蛇も様々な形であったようです。
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江戸時代、この麦藁蛇を購入していた人が流行病に罹らなかっとたという事から、毎年、年の半分が過ぎた夏越の大祓、また富士山の山開きに合わせて6月晦日と7月朔日の2日間のみ、富士塚のある江戸の浅間神社の屋台で販売をさるようになったという謂れがある。
また、写真をみての通り、ヘビというには、頭に角や耳、そして髭もあり、尾もヒレのようなものが付いている。これは、麦藁蛇と呼ばれてはいるが、実は元は「富士越えの龍」だという説もあるようで、龍と言えば、水を司るため、水害、水難から護る、また、火事から護るなどの謂れもあり、多くの人は麦藁蛇を井戸や水周りに吊るしいたそう。昔は水も安全という訳ではなかった中で、暑くなる夏に向けての、この夏越の大祓の時期に、水あたりなども含め、病にかからないようと願って授与されていたのではないでしょうか。
麦藁蛇については、竹谷靱負著「富士塚考・続 富士祭の麦藁蛇発祥の謎を解く」という本や、有坂与太郎 著「郷土玩具大成 第1巻 東京篇」に記載があります。
特に興味深いのは、有坂与太郎著の中に、麦藁蛇(麦わら龍)の最初の作成は、「駿河の人、富士の本宮にて麦藁蛇を作っていた」という内容の記載があり、寛政の頃にはその曾孫が江戸の駒込にて売り始め、大量に作られていた事が記されている。
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私も駿河の人であり、数少ない日本の麦わら細工の職人として現在も活動する中、これは一周まわって戻ってきたのではないかと、勝手に強く感じたのです。
もう1度 蘇らせたい
富士山のお膝元というには伊豆はチョイと距離はあれど、麦わら細工職人として出来る限りのことをと、、色々と調べ、富士山の浅間神社といえば、なんと言っても全国1300の浅間神社を束ねる大本命「富士山本宮浅間大社」
近年では、台風だけではなく、線状降水帯やゲリラ豪雨などの水害があとを断ちません。
また、コロナも5類になれど、やはり感染の怖さからマスクを外せない多くの人が見られます。
麦藁蛇を調べるうちに、そんな時代だからこそ、日本の麦わら細工、編み細工の職人である私に出来ることをと強く思い、富士山本宮浅間大社さまにお問い合わせをしたところ、奉納をさせて頂ける運びとなりました。
しかも、この丁度「夏越の大祓」の頃に合わせて、この流れが進んだ事に、益々、ご縁を感じているところです。
(本日6月28日(水) 茅の輪くぐり)
龍神ならではかなと(水)を司る水曜に奉納というのもご縁のひとつかと。正式参拝と奉納前に。
麦わら龍さまと共に初めての茅の輪くぐり
(正式参拝と奉納)
目の前の祭壇に鎮座しお祓いを受ける様子には涙腺が緩みました。
麦わら龍さま、どうかお役目よろしくお願いします。
今回、伝統屋暁代表の佐野翔平さんにもご同行頂き、撮影など交渉もして頂きありがとうございました。
麦わら龍さまをお支えしている籠は富士山をモチーフに編み上げました。富士越えの龍
誰もに安寧の時が訪れますように。
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