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​ぷち よもやま話

​よもやま

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初代 辻晨吾はとにかく手先が器用。究極は自宅離れを建設。庭も石垣からくみ上げる。小さなものから大きなものまで何でも手作り。カルメ焼きを作るのも職人技だったんだよ。写真は椰子の実細工を手がける様子。昭和38年8月

  by 3代目

左奥が2代目、中央の困った顔が私3代目。右が私のじいちゃん。みんな若い。なぜ母が2代目かというと、父と母が寅年二回り違いなので、それぞれの年数を配慮した結果なのです。​

  by 困り顔3代目

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​参

   屋号は「バナナ園」!?

 実は元々は庭に大きな温室があり、そこでバナナをはじめ熱帯植物を育て植物園も営んでいたのです。動植物の好きだった初代は、オウムやサル、犬などと一緒に暮らしていました。ポーポーという果物もどこよりも先に育てていました。おやつは採れたて果物でした。

 by おやつはポーポー3代目

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